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第6話 雑魚と呼ばれた少年の一閃

Author: 東雲明
last update publish date: 2026-06-22 10:48:06

「来いよ」

 俺は剣を構えた。

 怖くないわけじゃない。

 足は重く、腕もまだ痺れている。

 それでも、もう一度地面に転がされるために、ここへ立ったわけじゃない。

 アストリアの神殿の裏庭。

 白い石柱に囲まれた芝生の中央で、俺はルゥの召喚したスライムと向き合っていた。

 青白く透き通った小さな魔物。

 見た目だけなら、子どもでも倒せそうに見える。

 だが、昨日の俺はこいつに振り回された。

 剣は当たらない。

 足は取られる。

 動きは読めない。

 この世界で魔力のない俺が、どれだけ無力なのか。

 思い知らされるには十分すぎる相手だった。

 けれど、俺は剣を下げなかった。

 少し離れた場所で、ルゥが俺を見ている。

 長い金髪。背に広がる白い羽。

 天使族の長。その姿は、ただ立っているだけで空気を支配していた。

「まだ挑むのか」

 ルゥが静かに言った。

 冷たい声だった。けれど、雑ではない。

 試している。測っている。

 俺が本当にミユウのそばに立つ資格があるのかを。

「挑むんじゃない」

 俺は剣を握る手に力を込めた。

「勝つんだ」

 ルゥの瞳が、わずかに細くなる。

「魔力もない。技も未熟。戦い方も知らない。それで何を根拠に勝つと言う」

「根拠ならある」

「何だ」

「俺が、もう逃げないって決めた」

 言った瞬間、自分の中で何かが定まった。

 俺は勇者じゃない。

 まだ救世主なんて呼ばれるような人間でもない。

 けれど、ミユウを守りたいと思った。

 あの白い羽の少女を、もう一人で泣かせたくないと思った。

 それだけは、誰かに与えられた役目じゃない。

 俺自身が選んだ理由だ。

「口でなら何とでも言える」

 ルゥが片手を上げた。

 空気が張り詰める。

 芝の上に淡い光が落ち、青白いスライムが跳ねた。

 その瞬間、体がぐにゃりと歪む。

 一体だったはずの姿が、二つ、三つ、五つに分かれた。

 俺を囲むように、同じ姿のスライムが跳ね回る。

 右。左。正面。背後。

 さっきの俺なら、全部を目で追おうとして、全部に騙された。

 でも、もう同じ失敗はしない。

 俺は剣先をわずかに下げた。

 焦るな。

 目だけに頼るな。

 魔力がないなら、感じればいい。

 読むんだ。奴の動きを。

 芝が沈む音。

 空気を押す気配。

 跳ねる直前の、ほんのわずかな間。

 偽物は軽い。

 本物だけが、地面を押す。

 右から一体が飛び込んでくる。違う。

 正面から迫る一体。これも違う。

 俺は動かなかった。

 ルゥの視線が鋭くなるのが分かった。

 動けないんじゃない。待っている。

 本物が来る、その瞬間を。

 背後の芝が、深く沈んだ。

 来た。

 俺は振り返らず、半歩だけ体をずらした。

 青白い塊が肩すれすれを掠める。痛みが走るが、歯を食いしばった。

 見えた。

 こいつだ――!

 スライムが地面に落ち、次の跳躍のために体を縮める。

 その一瞬を、俺は逃さなかった。

 踏み込む。足が芝を抉る。

 腰を沈め、体ごと剣を振りかぶる。

 スライムが跳ね上がった。

 高い。頭上を越えようとしている。

 普通なら着地を待つ。頭ではそうわかっていた。

 だが、俺は地面を蹴った。

「逃がすかぁっ!」

 残りの力を全部、足に叩き込む。

 体が浮く。

 世界が、一瞬だけ静止した。

 青白いスライムが、目の前に。

 俺の剣が届く距離に。

 そして――俺の方が、上だった。

 さっきまで見上げていた相手を、今は見下ろしている。

 その瞬間、すべてがクリアになった。

 魔力なんかいらない。

 スキルも、技も、いらない。

 今、この一瞬だけは、俺が勝っている。

「おおおおおっ!!」

 剣が唸りを上げて振り下ろされた。

 綺麗な軌道じゃない。洗練された一撃でもない。

 ただ、迷いだけはなかった。

 刃がスライムの本体を捉える。

 青白い体が、真っ二つに裂け、光の粒となって爆散した。

 芝の上に、淡い欠片が星のように降り注ぐ。

 俺は着地した。

 膝が笑う。視界が白く霞む。

 それでも、俺は倒れなかった。

 剣を地面に突き立て、真正面からルゥを見据えた。

 裏庭が、静まり返っていた。

 ルゥは無言だった。

 いつもの冷たい否定も、嘲りも、ない。

 ただ、その黄金色の瞳が、わずかに見開かれている。

 天使族の長。

 ミユウの幼なじみ。

 俺を雑魚と呼んだ男が――言葉を失っていた。

 胸の奥が、熱い。

 スライムを斬ったことなんかより、

 この沈黙が、俺に勝利を教えてくれた。

「……見たか」

 声がかすれる。それでも俺は言った。

「俺は、斬ったぞ」

 ルゥはまだ黙っていた。

 一秒、二秒。

 その沈黙が、俺には歓声よりも大きく響いた。

 やがて、彼は低く、絞り出すように言った。

「……今の動き、偶然ではないな」

 その一言で、背筋に電流が走った。

 ルゥが、認めた。

 俺を否定し続けた男が、初めて俺の一撃を認めた。

「魔力のない人間が……あの一瞬で本体を見抜いたか」

 ルゥの表情が複雑に歪む。

 認めたくない。だが、切り捨てられない。

 そんな顔だった。

「……なるほど」

 彼は短く息を吐き、静かに続けた。

「雑魚のくせに、無茶しやがって」

 その声には、ほんのわずかだが――熱があった。

 俺は笑おうとした。頰が動かない。

 それでも、喉の奥から小さな息が漏れた。

「……勝った、だろ」

 ルゥは一瞬目を伏せ、それから短く答えた。

「ああ。勝ったな」

 その言葉が、胸に突き刺さる。

 ルゥが俺の肩を掴み、倒れかけた体を支えた。強い腕だった。

「今の一閃だけは、認める。……少しだけだが、勇者の素質はある」

 勇者。

 その言葉が、今までで一番重く、熱く響いた。

 俺はまだ弱い。

 最強にも、救世主にも、ほど遠い。

 でも今日、俺は確かに一歩、踏み出した。

 雑魚と呼ばれた少年が、自分の剣で敵を斬り、

 自分を否定した男に、認めさせた。

 その事実は、誰にも奪わせない。

 意識が遠のく中、俺は白い空を見上げた。

 (ミユウ。見てたか? 俺、勝ったぞ)

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  • アストラル・オース〜白い羽根の君に誓う、最強勇者の恋〜   第53話 不器用なプロポーズ

    「はにゃっ?!」 ミユウの笑顔のすぐ脇で、黄金の翼が光をこぼした。傷ついた石床に落ちた輝きは、触れる場所を探すように揺れてから薄れていく。肩へ手を伸ばしたときには、そこにあったはずの顔が、俺の胸よりも低い位置に下がっていた。 黄金の髪を銀白色が染め直していく。長かったドレスの裾も光にほどけ、その下から見慣れた黒い服が現れた。ミユウは足元を確かめ、慌てて背中へ手を回す。指先に触れた白い翼は小さく、羽ばたかせても髪の先をわずかに揺らすだけだった。「あれだけ戦ったのです。力を使い切ってしまったのでしょう」 ルゥにそう言われても、ミユウは背中から手を離さなかった。羽根の感触を確かめるように指を動かし、それから、何もつかめなかった手のひらを見つめる。「さっきまで、できてたのに……」 もう一度翼に力を込めたらしく、肩が持ち上がった。けれど足は床から離れない。小さな踵が浮いて戻るのを見て、俺は差し出しかけた手を止めた。すぐに助ければ、できなかったことを突きつけてしまう気がした。「わたしも、お兄さんと戦えたのに」 黒い服の裾が、指の間でくしゃりと潰れた。俺を見上げようとした瞳が途中で伏せられる。唇を結んでも息が震え、こらえきれなかった涙が頬を伝った。「こんなちっぽけで弱いわたし、嫌い」 その言葉を聞くほうが、泣き声を聞くよりつらかった。 俺には、さっきまで隣にいたミユウと、今目の前にいるミユウの間に、そんな境目はなかった。手を握り返してくれた温もりも、共に戦いたいと言った声も、まだ身体に残っている。小さくなったこの手から受け取ったものを、どうして本人だけが、なくなったことにしてしまうんだ。 強かったぞ、と言いかけて飲み込んだ。それでは彼女が惜しんでいる姿ばかりを褒めることになる。今、俺の前で泣いているミユウに届く言葉が欲しかった。「じゃあ、俺がこうすればいい」 足裏の石の粉を踏みしめ、彼女の背丈まで屈んだ。疲れの残る膝を曲げると、制服の布が張った。片膝をつき、もう逃げ場をなくすほど近寄らないように、少しだけ間を残す。 濡れた睫毛が、何本か束になっていた。拭いてやろうとした俺の手を見て、ミユウが息を止める。その頬へ指を添えるまでに、俺のほうも一度、呼吸を整えなければならなかった。「そんなに泣かないで。お姫様」 口にした途端、耳が熱くなった。けれど、照

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  • アストラル・オース〜白い羽根の君に誓う、最強勇者の恋〜   第5話 俺がいる

    「いやあぁっ!」 ミユウの悲鳴で、俺は目を覚ました。 胸に寄りかかっていた小さな身体が、びくんと跳ねる。白い翼がばさりと乱れ、俺の腕から逃げようとするみたいに暴れた。 一瞬、何が起きたのかわからなかった。 ここはアストリアの神殿にある、ミユウの部屋だ。 昨日、ルゥに連れていかれた裏庭で、俺はスライム相手に情けないほど転がされた。何度も倒れて、立ち上がって、最後は気合だけでどうにか前に出た。 そのあと、膝が笑ってまともに歩けなくなった俺を、ミユウがこの部屋まで連れてきた。「龍夜くん、少しだけ休んでいって」 そう言って、俺の手を離さなかった。 本当はすぐ自分の部屋に戻るつもりだ

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    「雑魚だろ。そんなひょろくて能力もないやつが救世主なんて信じられん」 ルゥの声が、神殿の裏庭に冷たく落ちた。 白い石畳の上で、俺は拳を握ったまま動けなかった。言い返したいのに、喉の奥が焼けつくばかりで、うまく声にならない。 天界アストリアに召喚されてから、俺は何度も自分の弱さを見せつけられている。 戦闘力はない。魔力もない。剣を握っても、手のひらに残るのは頼りない重さだけ。 それでも、ミユウを守るためにここへ来たのだと、俺は思いたかった。「ルゥ、そんな言い方しないで」 俺の隣で、ミユウがむっと頬をふくらませた。 背中の白い羽が、朝の光を受けてやわらかく揺れる。神殿の庭に咲いた

  • アストラル・オース〜白い羽根の君に誓う、最強勇者の恋〜   第3話 名前を知っている理由

    「お前、なんで俺の名前知ってるんだ」 俺の声は、自分で思ったより低く響いた。 白い石で造られた広間は、天井がやたらと高い。柱には羽を広げた女神みたいな彫刻が並び、壁の奥では青白い光がゆらゆら揺れていた。 ここが天界アストリアだとか、俺が勇者として召喚されたとか、正直まだ頭が追いついていない。 それでも、一つだけ引っかかっていた。 目の前の少女――ミユウ・ネフェルト。 俺よりずっと小柄で、銀色の髪をふわりと揺らし、背中に大きな白い翼を持った少女。初対面のはずなのに、こいつは当然のように俺の名前を呼んだ。 瀬野龍夜。 俺が名乗る前に。 その事実だけは、どんな不思議な景色よりも気

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